法家思想(読み方:ほうかしそう)は中国で生まれた思想のひとつです。
“法家”とは、 諸子百家の中の流派のひとつ で、中国の春秋時代、戦国時代あたりに生まれました。
今回は、法家の思想の内容や、主な人物について調べたので、簡単に紹介いたします。
諸子百家とは?
諸子百家(しょしひゃっか)とは、春秋、戦国時代に活躍した多くの学者、先生、流派 を指します。(諸子=多くの先生、百家=多くの流派)
中国の春秋時代・戦国時代は、いくつもの国が興り群雄割拠の戦乱が続きました。
「国はどうあるべきか」や、どう考え、どうしたら安定した富国への道を進むことができるのかなどを模索していきます。
当時の中国各国の君主、臣下らは、戦乱の世を生き抜くために、そういった富国強兵の政策を提案してくれる学者を必要としたこともあって、多くの学者が生まれ、思想が研究されていきました。
法家の思想の概要
法家の思想は、秦国(漫画キングダムでも描かれる国)の大事な土台ともなった学派でした。
簡単にいうと
法による支配、法術(法律を使って君主の意図を実現する)で国をまとめようとする学派で、文献では
- 法の下の平等(主に、君主以外)
- 信賞必罰(功績をあげたら褒美を、ルールに違反したら必ず罰を)
が原則の思想である、と表現されることが多かったです。
ただ、
諸子百家の思想家たちは、流派を問わず互いに考えを巡らし、影響しあって 思想をブラッシュアップ させていきます。
よって、
同じ法家とされる人物どうしでも、法で民衆を管理しようとするのはだいたい基本的な考えですが、世代や人によって多少施策や目的は変わっています。
法家の人物
法家思想の有名な人物といえば
などがあげられます。
商鞅(しょうおう)
商鞅(しょうおう)は、法家の中でも、法術思想の先駆者という認識がされています。
当時の秦の君主である孝公とともに、それまでの中国にあった氏族制(特定の血縁による支配、世襲的政治体制)の解体を進め、伝統的な価値にかまわず、法律を徹底的に断行しました。
施策としては、
- 分異の令(長男以外は成人後分家させる)
- 什伍の制(5組の家族で相互に監視させ、連帯責任を負わせる)
- 軍功爵制(戦で手柄を取れば出世できる)
- 県制(各地に一代で交代の官僚を配置する)
などを行っています。
戦国時代の中、法術による軍国体制を確立し、後の中華統一への大きな土台を作ったと言って良いでしょう。
韓非子(かんぴし)
韓非子は、法家思想の集大成もいえる富国強兵の法家理論を完成させた人物として有名です。
法の目的を
- 君主権の強化
- 富国強兵(民衆には農耕と戦闘のみをさせる
- 治安維持(秩序と保障)
とし、自身の著作とされる「韓非子」にまとめあげています。
李斯(りし)
李斯は、秦の始皇帝のもとで、宰相として活躍しました。
秦国の中国統一にも貢献した李斯は、法家思想の実務面の完成者 (Wikipediaより)として有名です。
特に、郡県制(郡と県に地域を区画し、中央から官吏を派遣することで中央集権体制を強化する)は、形をかえて清朝(17~20世紀初頭)まで続いた基本政策(本『始皇帝 中華統一の思想』より)でした。(一部例外あり)
始皇帝の死後、私腹を肥やそうとした宦官の趙高(ちょうこう)に、李斯も殺され、秦の国自体もまもなく滅亡します。
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※こちらは2019年6月に書いた記事です。